ナアマンのいやし  説教者:坂本 清憲師

2019年6月23日 聖日礼拝

聖書箇所:第二列王5・14

私たちの信仰は、キリストを礎石として建て上げられます(エペソ2・19~22)。
教会成長にはこの信仰が必要です。
教会に組み合わされることによって、どう信仰が成長し、教会が成長していくか、ナアマンの記事(列王5章)からみていきます。

この記事には、ナアマンの他にさまざまな人々が登場します。
神様はそれぞれに役割を与えられ、栄光を表されるのです。

ナアマンのいやしのプロセス①

アラムの将軍ナアマンがツァラアトにかかったことで、ある若い使用人の娘が、サマリヤの預言者エリシャの元にいくことを薦めたことが、いやしのプロセスの始まりでした。
彼女は聖書の中に名前も記されない人ですが、その信仰が、主人の人生を変えました。目立たない働きこそ、教会に命を与えるものになります。

ナアマンのいやしのプロセス②

この使用人の娘の進言を、ナアマンの妻は夫に伝えました。
もし夫婦仲が悪ければ、娘の働きはここでストップしていたでしょう。
同じように教会の中でのコミュニケーションや交わりが、神様のご計画にとって大切です。

ナアマンのいやしのプロセス③

ナアマンがエリシャの元に赴くことを聞いたアラムの王は、イスラエルの王に手紙を送って、多くの贈り物を持たせました。
もし彼が引き止めていたら、神様の栄光は表されなかったでしょう。
彼は自分だけの特別な役割を果たしたのです。
私たちも、教会の兄弟姉妹たちのために、5分でも10分でも祈るなら、教会はその信仰によって成長します。

ナアマンのいやしのプロセス④

イスラエルの王は、アラムから来た手紙を読むと、自分の服を引き裂きました。
ここから学べるのは「神様の計画を疑わないこと」。
御国を建て上げるために、私たちの罪の性質である「疑い」を捨て去る必要があります(ローマ1・23、ローマ4・20~21)。

ナアマンのいやしのプロセス⑤

エリシャは神様の完全なるご計画と摂理を信じる預言者でした。
進んでナアマンの元に行っていやしを行うのではなく、人を遣わしてナアマンを待ちました。
もし逆であれば、ナアマンがいやされた時、人々は神様ではなくエリシャを褒め称えたかもしれません。
本当の神の人というのは、神様に栄光を帰すために、決して表立って動くことがありません。

ナアマンのいやしのプロセス⑥

ヨルダン川で七度身をきよめることでナアマンが怒った時、彼のしもべはとりなしの言葉で主人の気持ちを和らげました。
しもべの忠実さによって、ナアマンはきよめられました。
教会の成長にもこうした忠実さ、試練の中でも信仰が確信へと変わるための忍耐が必要です。

ナアマンのいやしのプロセス⑦

主人(エリシャ)への贈り物をねだったゲハジから学べることは、「神の栄光を奪ってはならない」ということです。
すべての栄光を神様に帰しましょう。

まとめ

「ナアマンのいやし」という神様の栄光の現われために一人ひとりが用いられたということから、「神様の働きは一人ではできない」ということが学べます。
信仰は一人で守りきるのは不可能です。
周囲の人々との関係やつながりが必要です。
神様とこの社会のために世の光、地の塩となるには、「教会を立て上げる者として自分が召されている」ことを確信し、祈りましょう。

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