だからあなたは、立ち直ったら  説教者:石橋薫奈師

2017/4/23  聖日礼拝メッセージ

聖書箇所:ルカ22:31~34、ルカ22:54~62

サタンが弟子たちを麦のようにふるいにかけるという主の言葉を聞いたペテロは、「主よ、ご一緒になら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と述べました。
しかし、福音書にあるように、彼はイエス様の逮捕を前に主を見捨てて逃げ出し、さらにはイエス様が予告した通りに鶏が鳴く前に3度もイエス様を知らないと否定をしてしまうのです。

そのような現実を見るときに、私たちが真に信頼することのできるものは自分自身ではなく、とこしえからとこしえまで生きておられ、永久にかわることのない神ご自身のみであることを教えられます。
私たちの神は救いの岩、たとい山々が移り丘が動いても、とこしえ動くことも変わり行くこともないお方です。
私たちはこの神に信頼を置くことができる幸いを主に感謝し、主に全く信頼して歩んで行く者でありたいと願います。

罪を示してくださるみことばの光

ペテロが重ねて3度目に主を否定したとき、鶏が鳴きました。
そして主は振り向いてペテロを見つめられました。
主はペテロが我に返る機会を与えてくださったのです。
我に返った瞬間、彼は痛烈に自らの罪を示され、外に出て行って激しく泣きました。

罪が示されることは時に激しい痛みと苦しみを伴います。
しかし、神のみこころに沿った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせてくださいます。

私たちはみことばがなければ、自分の罪に気づくこともできない弱い存在でありますが、光であられる神はみことばによって私たちの心のうちにある暗いところを照らし、光の内へと導いてくださろうとしています。

私たちは光である神との交わりを保ち、いつも主を目の前に置いて歩んで行くことができるように、祈りとみことばによる主との交わりの時間の大切さを覚えていきたいと思います。

私たちの帰る場所

今回のメッセージのタイトル「だからあなたは、立ち直ったら」の立ち直ったらと訳されている語は原語では「戻ってきたら」と言う意味の言葉です。
私たちの立ち返る場所、私たちの戻るべきところはいつも、イエス様です。

このイエス様はご自身の元に来られる者をどのような苦しみの時にも慰めて、一切の苦難に耐え抜く力を与えてくださるお方です。
そして、主は私たちも自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることの出来る者へと私たちを作り変えてくださいます。

私たちはどのような出来事のうちを通る時にも、例え主を見失う経験をする時にも、帰るべき変わらない場所があることを覚えていきたいと思います。

そして、主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神より受ける慰めによって、互いのためにとりなし、励ましあいながら前進していきましょう。
主が必ず勝利を取ってくださいます。

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