2019年9月8日 聖日礼拝
聖書箇所:Ⅰペテロ2・1~10
第一ペテロ2章1節には、キリストにあって生きるために、最初の実践すべきことが書かれています。
それは、自分自身から悪を取り除いていくことです(1ペテロ2・2~4)。
①「悪意」 – それは意図して犯す悪です。
②「すべての偽り」 – それは狡猾さ、ごまかしです。
③「偽善」 – 本当の自分ではないように振る舞うことです。
④「妬み」 – 他人を羨み、その分憎らしいと思う感情です。
⑤「悪口」 – 人の名誉を傷つけることです。
今日は、これらの悪習慣を取り除く方法をご紹介したいと思います。
こうした悪習慣を持つ人たちは、教会や家庭、社会の人間関係、また神様との関係に分裂や混乱をもたらします。
神様と良い交わりを持ちたいと願うなら、この悪習慣を捨て去る必要があります。
これらを持って神様の前に出ることはできません。
1. みことばに養われることの重要性(1ペテロ2章2~3節)
罪の中を生きている時は、こうした悪い習慣を恋い慕います。
悪習慣を捨てることで、神様との関係に入り、成長することができます。
そこで、みことばへの飢え渇きが生まれます。
みことばは混じりけなく、薄められておらず、純粋なものです。
そのみことばを通して主から養いを受ける者は成長し、その成長の完成を見ることができます。
その過程の中で、主の慈しみを味わうことができるのです。
日々の生活の中で聖書を読むことが大切です。
2. 生ける石となること(1ペテロ2章4節~5節)
主イエス様こそ、神様から選ばれた「尊い生ける石」であり、私たちの人生の礎石です。
礎石には「要石」というものがあり、この石がないと、建物が崩れます。
また、建物が無くなってもこの要石は残ります。
この石なるキリストに自分自身を捧げることが、神様に喜ばれる霊の供え物です。
私たちの存在そのものに、神様が価値を見出してくださいます。
生ける石として、霊の家に築き上げられます。
3. キリストを信頼すること(1ペテロ2章6~8節)
この石は主に選ばれた、尊い要石です。
神の選びは偶然ではく、まずその石が要として相応しいかテストした上で、選びます。
イエス様ご自身がこの地上で、神様から試されました。
そして私たちの罪からの救いのために十字架にかかってくださいました。
そのひとり子を、相応しい要石として選ばれたのです。
復活され、天に昇られたこのイエス・キリストを信頼すれば、私たちは決して失望させられることはありません。
それはこの要石に身を寄せることです。
イエス様はこの地上で最も困難な状況を通られたお方です。
みことばに聞き従えば、この方に躓くことはありません。
4. 生ける石を信頼する人々はどんな存在か(1ペテロ2章9~10節)
この生ける石に信頼する人、それは王なる祭司、聖なる国民、神のものとされた者たちです。
それはキリストの福音と栄誉の広がりを全世界に知らせるためです。
そして、キリストの証し人となる働きは、無理やり自分自身に強いるのではなく、神の憐れみによって行うべきことです。
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