御霊に蒔く者  説教者:坂本 清憲師

2019年7月7日 聖日礼拝
聖書箇所:ガラテヤ6・7〜10

キリストにある人生において、肉による滅びと御霊にあるいのち、どちらを刈り取りますか?
私たちは「御霊に蒔く者」として、すべての人、特に信仰の家族に善を行うことが大切です。

新しい創造について

ガラテヤの諸教会には、人々に割礼を強いる人々がいました。
しかし、パウロは「割礼の有無ではなく、新たな創造こそ大事だ」と警告しています(ガラテヤ6・12~15)。
新たな創造とは、キリストの死とよみがえりに預かることです。
キリストの死とよみがえりを信じることで、血肉のからだが御霊のからだへと変えられること、死からいのちへと移されることです。

私たちの信じるイエス・キリストのよみがえりのからだとは、御霊のからだのことです。
朽ちることのない、栄光と力のあるものです(コリント15・42~47)。
日々、血肉のからだによる罪の誘惑もありますが、御霊のからだで生きているという恵みを理解して生活しましょう。
血肉ではなく、御霊による新たな創造によって日々を生きることが大事です。

御霊のからだについて

1. イエス・キリスにあって生かされるからだであるコリント15・20~22)
眠った者の初穂として生き返ったキリストにあってすべての人が生かされる。
これは再臨のキリストについての内容でもありますが、私たちの待ち望むべき希望です。
御霊の初穂を頂く者として、御霊のからだによって生きましょう(ローマ8・9~11)。

2. 朽ちない(永遠の)からだへと変えられるコリント15・42)
御霊に蒔く人として、永遠のいのちを刈り取る必要があります(ガラテヤ6・8)。
永遠のいのちは、ただ盲信的に信じるのではなく、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追求し、信仰の戦いを立派に戦うことによって獲得できます(テモテ6・11~12)。
それは「キリストにある倫理」とも言えます。
人として地上に来られたイエス様が「善を行え」と教えられたのも、この倫理観から来ています。
善を諦めないで行うことが、御霊に蒔くものであり、そうした倫理観に基づく生活こそ、キリストの似姿へと変えられていくプロセスです(ガラテヤ6・9~10)。

この善を行うにも、「時」があります。
それは過ぎていく時間(クロノス)ではなく、神様の定めの時(カイロス)です。
神様の決定的な働きが行われる、またとないような機会です。
御霊に蒔く者は、このカイロスの中を生きながら、関わる人に善を行います。

カイロスの時間の中で生きていくためには、
①神の御心を理解する
②御霊に満たされ続ける
③共同体での関係の中で生まれるいのちによって生きる
ことがポイントです。

3. キリストの栄光のからだと同じ姿になる(ピリピ3・21~4・8)
御霊に蒔く者の希望はキリストの再臨です。
カイロスの中で生きるならば、主の日が近いことを悟り、キリストの栄光の体と同じ姿になることに喜びを見出すのです。

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