2019年1月1日 元旦礼拝のメッセージ
メッセンジャー・石田吉男 聖句・ネヘミヤ8:10ほか
「さらに、ネヘミヤは彼らに言った。『行って、上等な肉を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった者にはごちそうを贈ってやりなさい。きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。』」(ネヘミヤ8・10)
冒頭の聖書箇所には、「行って、上等な肉を食べ」「ぶどう酒を飲みなさい」とあります。
こうした喜びには目的があります。
この聖句には「あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。」ともありますが、口語訳では、「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」と訳されています。
ところで、皆さんにとっての幸せとは何でしょうか。
健康であること?
お金があること?
知恵があることでしょうか?
本当の幸せとは、「どんな中でも喜ぶことができる」ことです。
どんな境遇でも喜べる人になることを、聖書は宣言しているのです。
イエス様は弟子たちと別れる時に、「わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしはあなたがたの元に戻ってくる」そして「わたしはあなたがたに平安を残します」とおっしゃいました。
この平安こそ、私たちに残されたイエス様の遺産です。
その平安を与えられて喜ぶことが、私たちにとって最大の力になるのです。
喜ぶと、どんなことが起きるのでしょうか?
1.物事が前進する
喜ばずに何かをやっていても、現状維持もしくは後退してしまいます。
でも安心してください。
あなたの人生における一つひとつのことを感謝して受け取ったときに、問題や困難の中でも前進する力が与えられるのです。
今、自が置かれている現状やつらい出来事をも喜ぶときに、以前よりも充実した歩みをすることができます。
パウロは主を信頼しただけでなく、主を喜んだ人でした。
彼は、自分の身に起こった「投獄」という致命的なマイナスの出来事さえも、福音を前進させる力へと変えました(ピリピ1・12~14)。
「すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。」(ピリピ1・18)。
繰り返し喜ぶことで、このみことばが働いてきます。
パウロは、喜ぶことを通して、福音の前進だけでなく、キリストの栄光が現れることを目指しました。
彼にとって、キリストと共にいること以上に素晴らしいことはなかったのです(ピリピ121~23)。
天地創造をされ、私たちを救うために十字架にかかってくださった全能の神と共にいられることは何と素晴らしいことでしょうか。
これこそが、喜ぶ者に与えられた神様の恵みです。
2.どんな犠牲をもいとわなくなる
「たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。」(ピリピ2・17)。
ここで言う「注ぎの供え物」とは、犠牲となることを意味します。
私たちのためにまずキリストが犠牲となってくださいました。
いつでも物事を考える最初に、キリストが私たちのために命を捧げてくださったことを聖書から理解していただきたいと思います。
そうすることで、私たちは主への犠牲をいとわない者へと成長することができます。
3.人間関係が祝福される
ピリピ4章1~4節を読むと、ユウオデヤとスントケという2人の同労者の間に対立があったことがわかります。
この同労者たちにパウロが勧めたのは「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4・4)ということでした。
私たちは、人間関係でさまざまな問題を経験することがありますが、それによって暗くなった心で、外側や現実から物事を判断するのではなく、まず「主にあって」喜ぶことが大事です。
「主にあって」という言葉には「主の中に入る」という意味があります。
キリストの中に入って物事を見るとき、それを理解し、喜ぶ機会が与えられます。
相手を理解し、祝福していくときに、不一致が一致へと変えられ、互いに一つとなることができます。
すべては喜ぶことから始まります。
4.道が開かれる
あらゆる境遇の中でも満ち足りる秘訣もまた、喜ぶことです(ピリピ4・10~13)。
その喜びの中で、神様が必ず脱出の道、新しい道を開いてくださいます。
つびやきや苦しみ、喜びを失った状況の中でこれらのみことばに立ち、主を喜ぶことによって、新しい一年を前進させていただきたいと思います。
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