2018年6月24日 聖日礼拝
聖書箇所:ヨハネ4・13~14,7・37~38
イエス様がご自身を「いのちの水」とおっしゃったことについて、3つのポイントから見ていきます。
1.1人の人を満たす「いのちの水」(ヨハネ4・13~14)
「見る」という言葉は、聖書の中では天の父なる神様、イエス様を切に求める意味合いで使われます。
ヨハネ1章では、バプテスマのヨハネが「見よ、神の子羊」とイエス様を指しました。
イエス様は、サマリヤの井戸のそばで出会った女に、ご自身について、「決して乾くことがない永遠のいのちへの水が湧き出る」と明かしました(ヨハネ4・13~14)。
そして彼女の「あなたはキリストですか」という問いに、「あなたと話しているこのわたしがそれです」(26節)とお答えにったのです。
1人の人に、ご自身が永遠のいのち(神ご自身)であることを、あのサマリヤの地で宣言されたのです。
これは非常に重要な局面です。
ヨハネの福音書の中心テーマは、「神の御子イエス」です。
何度でも読み返して、イエス様が、渇いている私たちに、永遠のいのちを与えてくださるお方であることを覚えましょう。
2.多くの人々を満たす「いのちの水」(ヨハネ7・37~38)
仮庵の祭りでエルサレムに登られたイエス様は、立って大声で「誰でも乾いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」と、ご自身が生ける水の川であることを群衆に語りました。
サマリヤで1人の個人に向けて語ったのとは異なり、皆の心に響くように大声で叫ばれたことでしょう。
預言者イザヤも、「水を求めて出て来なさい……神様にたち返りなさい」と民に叫びました(イザヤ55章)。
預言者アモスは、「見よ、主の日が来る」「主のみことばを聞くことの飢饉がやってくる」(アモス8・11)と警告しています。
時代に流されず、聖書のみことばを神様の啓示として受け取る必要があります。
3.「天国のいのちの水」への招き(黙示録21~22章)
十二弟子の中で最年少であったヨハネが、晩年になって啓示を受けて記したのが、黙示録です。
この黙示録でも、「天地万物の創造主、いのちの水の泉」としてのイエス様が啓示されています(黙示21・6~7)。
イエス様から「水晶のように光るいのちの水の川」(黙示22・1~22)が流れ出て、天国を満たしています(黙示22・16~21)。
「見よ、わたしはすぐにくる」(黙示16・15)のおことばにもあるように、時は切迫しています。
「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(黙示22・17)。
ひとりでも多くの方々がいのちの水源に出会えるよう、神様が私たちを用いてくださるよう、互いにお祈りしましょう。
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