御霊に対するイエスの期待  説教者:石田 吉男師

2018年3月11日 聖日礼拝
聖書箇所:ヨハネ14・16~19

本日の聖書箇所(ヨハネ14・16~19)は、誰よりも私たちの弱さを知っておられたイエス様が、私たちに聖霊に注いでくださるよう、父なる神様にお願いする思いが表れているみことばです。

そしてヨハネ14章26節には、聖霊に対するイエス様の信頼が特に強く表れています(関連・ヨハネ16・6~14)。

1.聖霊とイエスの関係

(1)イエス様は聖霊によって宿られました(ルカ1・34~35)。

私たちも聖霊によってクリスチャンとして生まれ変わります。

「どうしたら生まれ変われるか?」というニコデモの質問に対して、「肉によって生まれる者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」(ヨハネ3・6)と主は答えられました。

私たちは、イエス・キリストを信じて悔い改めた時から、神の子とされました(ヨハネ1・12)。
「ただ、神によって」(ヨハネ1・13)とあるように、神様の一方的な働きによって生まれ変わったのです。

(2)イエス様は聖霊によって洗礼を受けられました(マタイ3・16~17)。

これが主の公生涯の始まりです。

イエス様がそうであったように、私たちも、洗礼を聖霊様からの賜物であると考える必要があります。
洗礼は公の出発であり、キリストのからだの一部、神の家族として受け入れられたことです。

私たちの始まりがなんであったかを意識するとき、信仰が強められます。

(3)イエス様は、御霊に導かれて歩まれました(マタイ4・1)。

悪魔の試みを受ける時でさえ「御霊に導かれて」とあります。
マルコは「御霊によって荒野に追いやられた」(自分の意思とは関係なくその状況に置かれた)としています。
試練は御霊のうちにあることを知っていれば、どんな状況にも勝ち抜く力が与えられます。

キリストの苦難を通して、栄光を共に受ける身分にされていることを受け止めましょう。
御霊のうちにある思いは平安です。

2.聖霊との関係の中で、どう栄光を現すか?

マタイ16章は、イエス様の公生涯のターニングトであり、どのようにご自分が神様の栄光を現していくかを教え、行動を起こされるスタートとなる重要な箇所です。

「あなたが十字架につくはずはない」とペテロが否定したときに、イエス様は「下がれサタン!」と、最も強い怒りを発せられました(マタイ16・23)。

十字架を背負うことなくして、神様の栄光は現されないのです(マタイ16・24)。

十字架という主のみ心を知ったからこそ、あのニコデモは、弟子たちが逃げた後も、アリマタヤのヨセフと共に、十字架刑後のイエス様の御体を引き取って埋葬しました。
恐れや不安があったかもしれないけれども、自分の十字架を負ったということです。

好きか嫌いかではなく、やるかやらないか。それによって勝利が決定します。

現実の生活で出会う相手が誰であれ、肉の思いで対するのではなく、十字架を負って神様の愛によって行動するとき(ルカ6・27~46)、素晴らしい神様の栄光が現されます。
聖霊様が働いて、私たちが進むべき道を示してくださいます。

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