2018年3月4日 聖日礼拝
聖書箇所:ルカ10・30~37、マタイ17・1~9
「良きサマリヤ人」のたとえ話は、隣人への愛に溢れた信仰の行為を教えています。現代へのメッセージを改めて探ってみます。
1.良きサマリヤ人の行いから見えてくること
イエス様がユダヤ人たちから「あなたはサマリヤ人で、悪霊につかれている」と言われる場面がありますが(ヨハネ8・48)、当時のユダヤ人のサマリヤ人に対する扱いがわかります。
たとえ話に出てくる祭司やレビ人は、「死んだ人に触ったら7日間けがれる」という律法のため、この半死半生の人の前を通過していきました。
神様の教えを律法的に解釈し、愛を優先させる信仰ではありませんでした(ルカ10・31〜32)。
私たちを選ばれた神様が愛なる方であることを忘れると、愛が冷え、神様を喜ばせるはずの信仰が、愛のない行いになってしまいます。
(1)愛は神から出ていることを知る(1ヨハネ4・7〜12)
この祭司とレビ人は、神様のことは知っていても、神様が愛なるお方であることを信じていませんでした。
(2)キリストの愛はいのちを与える(ルカ10・35)
「彼を見てかわいそうに思い」、オリーブ油とぶどう酒で傷を癒し、宿に送り届けて宿代まで払った。
このサマリヤ人はイエス様そのものです。
単なる同情を超えて、相手の苦しみや痛みを自分事として受け止める愛が示されています(マタイ9・35〜38)。
(3)愛の信仰には、実行と責任が伴う(2コリント5・21、1コリント6・19〜20 )
イエス様の愛は律法を超えるものです。
その証しに、神様は私たちを愛して、御子イエス様を捧げて罪の滅びから救い出してくださいました。
自分が代価を払って買い取られた存在であることを忘れてしまうと、愛が冷えて、律法的な信仰に陥ってしまう危険性があります。
2.オリーブ油とぶどう酒のミニストリー
終わりの時代には、ユダヤ人に対する憎しみと戦いが高まる「ヤコブの悩み」の時がくることが預言されています。
良きサマリヤ人が用いたオリーブ油は聖霊のシンボル、ぶどう酒は十字架の血潮のシンボルです。
この2つの働きは、終わりの時代に大きな意味を持ちます。
聖霊様が働く時に、イエス様の愛が注がれます(ヨハネ14・15〜19、ヨハネ16・6〜14)。
私たちが、神様の愛をもってその人の回復や救いを祈る時、聖霊様が豊かに働いてくださり、キリストの血潮の力の御業がなされるのです。
「あなたの隣人はだれですか」と尋ねる、イエス様のおことばに動かされて歩みましょう(ルカ10・36〜37)。
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