「良きサマリヤ人」の現代的意味 説教者:石田 吉男

2018年2月4日 聖日礼拝

聖書箇所:ルカ10・30~37

「良きサマリヤ人」(ルカ10・30~37)のたとえ話は、現代のイスラエルとクリスチャンの関係にも適用できる深いメッセージがあります。
1. 近代イスラエルの導き

「ヨベルの年」は50年周期で訪れるユダヤ暦の節目で、活力を失った土地の休耕、債務からの解放、罪からの赦免などが聖書で定めらています。

歴史を振り返ると、このヨベルの年に様々な神様の御業が起こっています。

1)1867年、アメリカの地質学者チャールズ・ウォーレンによって、エルサレムでダビデの町が発掘されたました。

2)1917年、イギリスのバルフォア首相がパレスチナにユダヤ人のホーム建設を認める「バルフォア宣言」を発表

3)1967年、イスラエルがアラブ側の支配下にあった東エルサレムを奪還しました。この出来事は、聖書預言の成就が異邦人からエルサレムへとシフトする節目になりました(ルカ21・24)。

4)2017年、トランプ大統領が米大使館をテルアビブからエルサレムへ移転すると宣言しました(エルサレムをイスラエルの首都と正式に認めたこと)。

聖書では終わりの時代、反キリストの出現、新たな神殿の建設などさ、まざまな出来事がエルサレムを起点に起こり、「ヤコブの悩み」とよばれる大きな苦難がイスラエルの人々を襲うことが記されています。

これらの出来事を知らされているクリスチャンとしてできることは何でしょうか。

2. 現代のサマリヤ人として

サマリヤ人の例えには、この「ヤコブの悩み」そして「イスラエルの回復」のイメージが重ねられると見て取れます。

この例え話の舞台となったエルサレムからエリコへの街道は、1100メートルの落差がある道で、よく旅人が強盗に襲われる道でした。倒れたフリをした盗賊に襲われることもあったのでしょうから、祭司やレビ人が、この半死半生のユダヤ人の旅人を無視したのは、単に宗教上の汚れだけではない、安全第一を考えた行動でもありました。いずれにせよ愛を優先させる信仰とは言えません(ルカ10 ・30〜32)。

しかし、ユダヤ人に疎まれていた立場のサマリヤ人は、こうした危険も顧みずに、この傷ついたユダヤ人に近寄ってオリーブ油とぶどう酒で癒し、自分の家畜に乗せて宿まで運んで宿代を負担したのです。

聖書では、オリーブ油は「聖霊」、ぶどう酒はキリストが十字架で流された「血」の象徴です。
イスラエルの回復には、この聖霊の働きとイエスの血潮による恵みが不可欠です。
このことは、「イスラエルに恵みと哀願の霊を注ぐ」(ゼカリヤ12・9〜10)、「罪と義について教え、過ちを認めさせる霊が注がれる」(ヨハネ16・8〜10、使徒1・8)などの聖書箇所から理解することができます。

聖霊様が働かれることで、イスラエルのすべての民は自分たちの罪を示され、イエス・キリストがメシアであることを悟り、救われます。

ヤコブの苦難の到来を知る現代の良きサマリヤ人として、このイスラエルの上でなされる聖霊の働き、リバイバル、イエス様の御再臨を求めて祈ることが、救われた異邦人である私たちにできることなのです(ゼカリヤ13・1、ぜカリヤ14・4)。

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