2018/1/28 聖日礼拝メッセージ
聖書箇所: マタイ16・13~23
様々な偶像礼拝が行われていたピリポ・カイザリヤの地で、イエス様は、人々が、そして弟子たちがご自分のことを誰だと思っているか、弟子たちに問われました(13~15節)。
(1)私たち一人ひとりに関心を持たれる神様
神様は、アダムやエバともそうであったように、私たち一人ひとりと関わりを持つことを喜びとしておられます。
教会という集団に属していても、私たち一人ひとりと神様はつながっておられ、「あなたはわたしをどう思っているのか?」と私たちの信仰を問われるのです。
(2)ペテロの信仰告白
「あなたは生ける神の子、キリストです」と答えたペテロに(16節)、イエス様は「人間ではなく神から出た言葉である」と喜ばれました(17節)。
このペテロの言葉は、主と共に歩んだ3年間での体験から培われた信頼関係から発せられたものです。
(3)岩の上に建てられた教会
この告白に対するイエス様の応答は、素晴らしい内容でした(18節)。
「岩」(=ペテロ)は神様の力強さの象徴の1つであり、大きな意味を持つ言葉です。
このペテロの告白は、今日まで続く教会の信仰の土台(岩)として、死の門さえ打ち破るよみがえりの信仰を私たちに養ってきました。
(4)天の御国の鍵の管理人として
ペテロ、そして私たちに与えられたのが「天の御国の鍵」です(19節)。
この鍵は祝福と同時に困難も伴うものです。
この鍵の管理人として、私たちは謙遜に、キリストと心を同じくして(ピリピ2章)、正しい判断力を持って歩む必要があります。
天と地が一体であるように、私たちは神様とひとつにされる存在です。
(5)「生ける神の子キリスト」ー原点に立ち返る信仰
これからご自分が通る十字架の苦しみを話されたイエス様に対し(20節)、「そんなことがあるはずがない」と、ペテロは主を愛するあまり打ち消そうとしました。
ここで主が発せられた「下がれサタン」という言葉は(23節)、かつて荒野の誘惑でサタンに発した時とは別の意味があります。「わたしのことを思ってくれるのは感謝だが、それは邪魔になるものだから、わたしの後ろに下がりなさい」と、ペテロを先ほどの信仰告白、つまり信仰の原点に立ち返るよう命じられたのです。
私たちは、時に人間的な思いを優先させて失敗を犯しますが、常に信仰の原点に立ち返ることができます。
ペテロのように、失敗しながらも悔い改め、聖霊様の愛の注ぎを受け続け、みことばに従い、十字架を負う選択をしていきましょう(24節)。
コメント