2018/1/7 聖日礼拝メッセージ
聖書箇所: Ⅱコリント3・16~18
今年の標語「キリストに似た者に変えられる」(Ⅱコリント3・16〜18)を全うしていくために、「主こそ神です」という信仰告白に込められた大きな意味を見ていきましょう。
1.「主が神である」ことを告白する信仰
430年間のエジプトの苦役から救われたイスラエルの民に、神様は「あなたの神、主である」とご自身を現されました(出エジ20・1〜2)。
この告白ができれば、彼らはすぐに安息の地カナンに入ることができたでしょう。
しかし荒野であらゆる救いの御業を経験しながらも、自分の思いを中心にして歩んだことで、40年間荒野を放浪することになりました。
私たちも人生の荒野において、それぞれ置かれる環境も直面する問題も違いますが、神様を主としていない生き方をしているなら、現実の中で平安を得ることができません(ヘブル3・7〜12)。
この告白をすることで、あらゆる問題を生きる力、安息を得ることができます。
「イエス・キリストは主である」。
これはイエス様が最も喜ばれる、陰府の力をも退ける告白です(マタイ16・15〜17)。
天の御国はあふれんばかりの祝福に満ちていますが、その蔵の鍵がわたしたちに与えられています(マタイ16・19)。
それがどう使われるかは、私たちの祈りの問題です。
2.「主は御霊である」ことを告白する信仰
「主は御霊です」(Ⅱコリント3・17)。
これは、イエス様と同一の聖霊(アロスパラクレイトス)が私たちのうちに働いてくださる、という告白です。
この聖霊様の働きを見てみましょう。
(1)聖霊は私たちに自由を与えてくださいます。
自由は自分で握ってしまうとかえって不自由になりますが、聖霊におゆだねすることで、
(2)聖霊が私たちに内住してくださいます。
私たちが約束の地に入るという一つの保証です。キリストに自分の主権を委ねると、聖霊なるキリストが内住されるだけでなく、
(3)聖霊に満たされます。
私たち自身が満たされずに相手を満たすことはできません。
クリスチャンにとって大切なことです。
聖霊に満たされると、
(4)力が与えられます。
これは主にすべて委ねことですが、一方的に丸投げするということではなく、神様の主権と人間の責任、両輪での働きです。
そして、主にすべてを委ねると、
(5)未来が見えてきます。
私たちがイスラエルのため、日本のために祈るのは、未来が見えているからです。
聖書が私たちに解き明かす終わりの時代の様々な事柄を覚え、未来を見極める力を養われながら、聖霊なる神と共に本年も進んでまいりましょう。
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