義と認められた信仰の目的 Part 1 説教者:石田 吉男師

2017/10/22 聖日礼拝メッセージ

聖書箇所:申命6:1~4

申命記6章1~4節は、神様のみことばへの従いが、人生の祝福であることを教えています。

1.神様のみことばに従う時に注がれる大能(聖霊)の力

「おきてと定め」(1節)は聖書全体を貫くテーマです。
イエス様は「心と思い、知性と力を尽くして愛することが、第一の戒め」とおっしゃっています(マルコ12:28~31)。

このおきてと定めは、神様のことばそのものであり、従わないと、エデンの園を追われたアダムとイブ、そして40年間荒野を放浪することになったイスラエル人たちのような、不信仰に陥ってしまいます。

アブラハムは最初に信仰によって義と認められた人物ですが、自分の期待通りに祝福を下さらない神様につまづき、不信仰に落ちました(創世15:1〜3)。
神様だけでなく、人にも自分にもつまづきます。

これらつまづきの原因は、みことばに従っていないことです。
また従わないと「そうなるように定められている」と記されています(Ⅰペテロ2:8)。

アブラハムの場合は、神様妻サラの言葉を優先してしまった結果によります。

ですから、「神によって義と認められた」ということは、あくまで神様のみことばに従うという目的を成し遂げるためであることを知りましょう。

キリスト教に関する知識は氾濫していても、この主のみことばの恵みに飢え乾く飢饉が起きています(アモス8:11)。

互いに義をと認められた者同士、みことばを聞く祝福に預かるために、聞いたみことばに従う習慣を身に付ましょう。

2.みことばに従うことは、信仰生活を継続する秘訣

生涯をかけて神様のすべての掟と命令を守ることが、健康と人生の祝福の秘訣です(2節)。
弱さの中でも強められ、祝福されます。

死者を生かし、無から有を生じられるお方に対して、不信仰が起こりそうになる中でも疑うことをせずに信じ切ることで、信仰が強められ、祝福が注がれます(ローマ4:17〜21)。

3.みことばに従うことは、幸せの秘訣

アブラムも妻サライもみことばに不従順でしたが、夫婦で悔い改めたことで、アブラハム、サライという名へと変えられました。
夫婦、家庭は幸せの基です(創世17:15〜16)。
互いに悔い改めた時から新しい関係が始まるのです。

目に見えるところ、つまり肉の思いに従うことは自分に従うことですが、神様のことばに従う生き方は、御霊の中にとどまる生活であり、キリストと共にある歩みです(ローマ8:4〜17)。

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