大能の力によって   説教者:石田 紀子師

2017/10/22 聖日礼拝メッセージ

聖書箇所:エペソ6:1~19

エペソ書は、パウロの獄中書簡の1つです。
このエペソ書に、「主にあって大能の力によって強められなさい」とありますが、この大能の力は、神様からくる、内なる人を強くする聖霊のお力です。

1.大能の力によって強められなさい

アブラムは子孫の約束が中々叶えられずに不信仰になり、13年間にわたり神様の前に出ることができませんでした。
その彼に神様自ら姿を現し、全能の神であることを示されたことで、アブラムは再び信仰を取り戻して、1つの家族の家長「アブラム」から、諸国民の父「アブラハム」として祝福の基となりました。

祝福が欲しいために狡猾に兄エサウを騙したヤコブは、いざ兄との再会を前にして不安と恐怖にとらわれました。
そこに神様が現れて、祝福を頂きたいと願ったヤコブと夜通し真剣に格闘してくださり、「イスラエル」という名を与えて祝福されました。

そうした信仰のターニングポイントは、私たちにも必ず訪れます。
それまでの「自分を中心とした神様との関係」に基づく信仰から、「主のために生きる」信仰へと変えられるのです。

2. 神の武具を身につけて戦う

強大なローマ帝国の囚人として獄に繋がれていた中でも、パウロは「神のすべての武具を身につけなさい」(11節)と、エペソの兄弟姉妹たちを励ましました。
力強いローマ兵のいでたちを見て、サタンのさまざまな策略に立ち向かえるように、神の武具を身につけなければならないと思ったのです。

この世の支配者であるサタンとの戦いには、目に見える武具ではなく、霊の武具である神様のみことばを用いて戦います。

イエス様は公生涯に入られる前に、世の権力や栄華に負けず、みことばによって生きる試練を受けて勝利しました。
全人類の罪のために十字架を背負うという目的から、目を外らせようとしたサタンの様々な誘惑に、みことばによって打ち勝ったのです。

私たちはみことばのその上に「平和の福音の備え」(15節)をつける必要があります。
みことばだけで生きようとすると傲慢になるので、神様と人との間に平和を保つことを忘れないでいくことが大切です。

そしてこれらすべてのものの上に「信仰の大楯を取る」のです(16節、ヘブル11章)。
神様の前にへりくだり、神様がなしてくださる素晴らしい御業を信じていくことです。

その上に、常に共にいてくださる聖霊様に満たされて、「すべての祈りと願い」(18節)を用いて、忍耐の限りを尽くして祈ることを、主は喜んでくださいます。

お互いに祈られている存在として、愛をもってとりなし続け、私たちを信仰から引き離そうとするサタンの力と戦いましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました