再臨待望聖会を顧みて   説教者:石田 吉男師

2017/9/24 聖日礼拝メッセージ

聖書箇所:創世12:1~4

アブラハム契約(創世記12・1~4)のみことばから、今回の再臨待望聖会で学んだことを顧みたいと思います。

1.アブラハムを通して全世界が祝福される神のご計画について

講師であったフリードマン先生によると、使徒2章の初代教会には、聖霊の油注ぎを受けたユダヤ人(メシアニック・ジュー)と異邦人の共同体でした。
メシアニック・ジューはユダヤ教の食物規定や割礼を守っていましたが、神様はぺテロが受けた啓示(使徒11:1~12)を通して、異邦人にも福音を伝える道を開かれました。

割礼の習慣についても、最初は異邦人にも受けさせるべきという主張があったのですが、聖霊様によってユダヤ人と異邦人の間に差別はないとして(使徒15:5~9)、分裂するのではなくキリストにあってひとつとされる群れとなったのです。

しかし、異邦人信者の数がメシアニック・ジューを上回るようになると、今度は異邦人が「律法を捨てろ」とユダヤ人に強要するようになりました。

この聖書の解釈の違いから分裂が始まり、教会からメシアニック・ジューの居場所を奪ってしまったことで、1700年にわたり反ユダヤ主義が世界に広がりました。

イスラエルは必ずイエス様に立ち返るというみことば通り、長い間失われていたメシアニック・ジューが徐々に起こされ、世界の日時計は終末の5分前にセットされました(ローマ11:17~36)。
この終末の時計は、イスラエルの救いを覚える私たちの祈りによって今さらに前進しているのです。

そして、救われたユダヤ人の大集団が世界に出て行って伝道することになりますが、それは大迫害時代の始まりでもあります(黙示12:17)。

2.私たちはどう生きるべきか?

アブラハムは、数々の試練を通して、自分の立場から神様を見ていた信仰から、神様の視点からものを見る信仰へと変えられました(創世17:1~5)。

試練の中で苦しむのは、信仰が変えられる過程の中にいるのであって、神様を全能のお方として全き信頼を寄せる者へと変えられているのです。

自分の内面(自分の義や怒りなど)が試練を通じて神様によって取り扱われることで、私たちは古い体質から解放されて、本当の意味で神様に用いられるようになります(雅歌1:6、箴言14:16、箴言19:3、箴言20:2、箴言25:23、箴言29:9、22、エペソ4:26~26、Ⅰテモテ2:8、ヤコブ1:19~21)。

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