2017/8/6 聖日礼拝メッセージ
聖書箇所:黙示4:1~11
ヨハネの黙示録4章から22章には、「この後に起こること」(1章19節)が記されています。
今回はその4章を見ていきます。
1.天に開かれた門(1節)
この門とは、神様が決定されたご計画が地上で成就されるため、天と地をつなぐために開かれた門です。
ヘブル語では天のことを「シャマイム」と複数形で表現しますが、天にもいくつかのレベルがあるのです。
使徒パウロも「第3の天まで引き上げられた」(Ⅱコリント12章)と記しています。
第1の天とは、「地球全体から成層圏」、第2の天とは「宇宙全体」、そして第3の天とは「三位一体の神様の栄光(シャカイナ・グローリー)に満ちた御座」という解釈があります。
天地創造、御子イエスの来臨と十字架の贖いは、天が開かれていたからこそなされた出来事です。
地上に対するご計画、私たちのための幸いなご計画のすべては、天が開かれていることで成就します。
2.「ここに上れ」(1節)
神様のご計画がただ私たちの個人的レベルだけで成就するなら、それは地上で終わってしまいます。
神様は全世界、全人類に対してご計画をお持ちです。
「ここに上れ」(1節)という呼びかけは、個人レベルから神様の視点に立つことへの促しです。
終わりの時代を読み解く重要なキーワードは「キリストの再臨」です。
黙示録4章から18章までは、キリストの再臨に至るまでの過程、特に偽キリストの活動する患難時代、そして19章は再臨です。
20章は千年王国とサタンに対するさばきです。
21章から22章は新天新地です。
旧約聖書では千年王国までが預言されていますが、黙示録はその先の新天新地まで記されているのです。
私たちが受けた救いは、この地上だけで終わりません。
さらなる勝利と完成に向かって豊かに祝福されることが、黙示録の中で明らかにされているのです。
3.天の御座(3節)
神様の御座の栄光、それは地上の宝石を引用しても到底言い表せないほどの内容でした。
「24人の長老」(4節)は、救われたユダヤ人と異邦人が天において1つにされた姿ではないかと考えられます。
もしそうなら、患難時代が始まる時点で教会は第三の天、携挙されていると考えられます(関連・黙示3:10)。
主が来られるとき、まずそれまで死んでいた聖徒たちが蘇り、生き残っていた人たちも引き上げられて、栄光の姿に変えられます(1テサロニケ4:13〜16)。
この未来観に支えられる信仰には力と希望があります。
黙示録はそれを明らかにしてくれるのです。
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