2017/7/16 聖日礼拝メッセージ
聖書箇所:黙示録3・14~22
小アジアの都市の1つ、ラオデキヤは、金融業、繊維業(羊毛)また製薬業(乾燥地で重宝される目薬)により潤っていました。
ここにあった教会は裕福で規模も大きく、現代の教会の姿を示したものとされています。
ラオデキヤに対するイエス様のお言葉から、現代の私たちへの教えを受け止めていきます。
1.ラオデキヤに対する主のお姿(14~17節)
「神に造られたものの根源である方」(14節)とは、すべての被造物の根源なるお方、という意味です。
「アーメンである方」が示すのは、真実で忠実な証人であるイエス様です。
私たちが不真実であっても、常に神様は真実であること。
これを信じ続けることが、信仰のチャレンジです(Ⅱテモテ2・13)。
そうしないと、常に自分の現実に囚われて本当の信仰に立てなくなります。
真実な主は本当のことも語ります。
ラオデキヤの教会を愛しておられるからです。
「冷たくもなく熱くもない」とは(15~16節)、ラオデキヤが経済的な豊かさにより、自己満足の信仰に陥ったことを指摘しています。
自分の富で満たされているが、神様に対して富まない(関心がない)存在になってしまったのです(ルカ12・15~21)。
懲らしめや叱責を受けることは辛いことですが、それらを謙遜に喜んで受け入れることで、成長が与えられます。
叱責という言葉が頻繁に出てくるのは、箴言です(箴言1・23、3・11、6・23、13・18、25・12)。
箴言は、日常の様々な出来事についての戒めです。
主の懲らしめは、主に愛されている証拠であり、主のきよさに与らせるという目的によるものであり、その訓練を経た人たちは大きな実を結びます(ヘブル12・5~12)。
2.ラオデキヤの教会の回復(18~22節)
イエス様は、ラオデキヤの富の基であった金融業、繊維、製薬業という3つの産業にポイントを当てて、教会が回復する術を教えておられます。
(1)火で精錬された金を買う
金ほどに薄く伸びる物質は他にありませんが、信仰の試練は、火を通されて朽ちていく金よりも尊いものです(Ⅰペテロ1・7)。
患難さえも喜んで練られる信仰により、品性が磨かれ、恥を見ることなく、目に見えない勝利を確信する希望が与えられます(ローマ5章)。
(2)白い衣を買う
自分の努力や行いでは罪を赦されることはありませんが、イエス様の贖いによって神の義とされます。
イエス様が下さる義の衣を着るということです(黙7・13)。
(3)目薬を買う
直面する様々な現実から物事を判断して不信仰になる(熱くも冷たくもない状況に陥る)のではなく、霊的な目を通してのみ見える、大いなる神様の守りを確信することです。
ラオデキヤの歩みは、サタンの誘惑を受ける現代教会の姿でもあります。
その誘惑にとらわれないよう、神様をしっかりと見上げて歩んでいきましょう。
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