聖霊降臨と神のビジョン 説教:石田吉男師

2017/6/11 聖日礼拝メッセージ

聖書箇所:使徒2・14~21

この使徒2章で引用されているヨエル書のみことばは、イスラエルに約束の聖霊が注がれることで、すべての民族が祝福されるというアブラハム契約に由来しています。
アブラハム契約が新約聖書で再スタートしているのです。

アブラハム契約の中心はイエス・キリスト、一度限りの出来事ですが、聖霊様の働きは歴史を通じて一貫しています。
イスラエルが何度失敗しても、さらなる預言や様々な出来事を通して、最終的には約束の聖霊が注がれるのです(使徒2・19~21)。
神様の祝福の契約では、聖霊降臨と神様のビジョンは切っても切り離されない関係にあります。
信仰に明確なビジョンがないと、神様のご計画よりも自分の思いを成就する方向へと進んでしまいます(箴言29・18)。

ヤコブの息子たちの中で、ヨセフが異なっていたのは、彼が神様からビジョンを受け取っていたことでした。
だから、エジプトにあっても神はヨセフとともにおられ、彼を祝福されたのです。

神様の定めた時には、霊的な内容が伴います。
ヨセフは兄弟たちに恨みがあった時は、色々ないたずらを仕掛けますが、神様のビジョンを受け取って愛に立った時、神様の祝福が家族全体に注がれたのです(創世45・4~8)。

ダニエルは、イスラエルの歴史を自分の歩みと重ね合わせ、先祖たちの罪を自分の罪として受け止め、哀れみをもとめてとりなしました(ダニエル9・8~9、9・20)。

他者の罪を自分事として悔い改めることとは、自分を捨て、自分の十字架を追って、「わたしに付いてきなさい」というイエス様のみことばに従うことです。
それが本当の意味でキリストと1つにされ、新しい人となることです。この愛がなければ、ビジョン(神様のご計画)は前進しません。

「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」
「主よ、彼らを許してください。彼らは何をしているのかわからないのです」
このキリストの愛を受け取った時に、どんな問題の中でも、神様は私たちの祈りに具体的に答えてくださいます。

「この民を許されないならば、私を命の書から取り去ってください」というモーセの祈りにより、イスラエルは霊的に切り替えられ、やがてカナンの地に入ることができました。
パウロは「同胞のために、自分がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたい」と祈りました(ローマ9・3)。

私たちも、パウロやダニエル、モーセやイエス様のように、肉の思いから御霊の思いに切り替えられた時に、他者の重荷を自分のものとしてとりなすことができます。
そこに主の祝福が豊かに注がれます(Ⅰコリ13・4~13、コロサイ3・13~17)。

コメント

タイトルとURLをコピーしました