聖霊降臨と神の計画  説教:石田吉男師

2017/6/4  聖日礼拝メッセージ

聖書箇所:ルカ24・13~35

使徒行伝2章ではヨエル書のみことばが引用されています。
ペンテコステは「五旬節の日」(1節)であり、キリストの昇天から50日後のことでした。
小麦の収穫の後に大麦の刈り入れがなされる時期でもあり、初穂の祭りとも言われています。

シナイ山で与えられた律法は、私たちに罪の意識を起こさせましたが、このペンテコステは、聖霊なる神によって使徒たちが全世界に出て行って福音を伝え、ユダヤ人のみならず異邦人もみな、信じる者は救われるという大収穫が実現していったのです。

ヨハネ14章16〜18節は、約束の聖霊についてイエス様が「助け主」「真理の御霊」と語られた箇所です。
私たちはどのようにして聖霊を理解したらよいのでしょうか。

イエス様を信じた人は全員救われます。
御霊は「あなたがたのうちにおられる」お方であり(17節)、内住のキリストです。

御霊の内住について確信がもてない理由が2つあります。

(1)御霊の内住を教会自体が理解していない(Ⅰコリント6・19)。
聖書は預言も異言も禁じていません。
でも異言はそれを解き明かす人がいないとその内容は無意味になってしまいます。

コリントの教会は、内住のキリストよりも、御霊の賜物としての証拠の部分にばかり極端に集中するようになりました。
事実、異言はコリントの手紙あたりでしか言及がありませんが、内住のキリストは聖書全巻で記されています。
このことについて明確に目が開かれて理解しないと、御霊の満たしは訪れません。

(2)肉(人間の思い)にとどまり続けている(ローマ8・5~8)。
人間的な思いに支配され、神様を喜ばせることができないため、聖霊体験もできなくなってしまいます。
ラオデキヤの教会のように「熱くもぬるくもなく」という傾向がますます強まります。
私たちの教会も注意が必要です。

困難の中で、肉の思いでのみ物事を見続けていると、希望の世界へと進むことができません。
肉の思いは死ですが、霊の思いは命であり平安です。
どんな問題や状態にあっても、肉の思いから霊の思いに切り替えられるとき、聖霊が心の中に働いて、圧倒的な注ぎが与えられます。
愛を追求し続ける者となります。信仰と希望と愛は存続し続けます(Ⅰコリント13・4~13)。

聖霊の満しに伴い、(1)肉ではなく御霊の中にとどまり(ローマ8・9)、(2)罪からの解放だけでなく、クリスチャンとして生かされているという確信を持ち(ローマ8・10)、(3)主と同じ栄光の姿に変えられるという希望が与えられます。
これは私たちのうちに託された奥義です(ローマ8・1)。

21世紀を本当に戦っていく信仰は、肉なる思いから霊なる思いに切り替えられて生きていくことです。

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