2017/5/21 聖日礼拝メッセージ
聖書箇所:詩篇119:71~72
ダビデはかつて不従順な面がありましたが、苦しみを通して信仰が変えられたことで、「苦しみにあったことは自分にとって幸いだった」と告白しています(詩篇119・67、71~73)。
苦難には、信仰が本質的に変えられて成長するという、神様の目的があります。
この苦難の目的を理解することは、私たちが苦難を喜んで感謝する者となり、成長するために必要なことです。
苦しみの目的1.本当の自分自身を知る(申命8・1~2)
イスラエルの民は、荒野での40年間、数々の苦難における奇跡を通して肉体的には満たされても、その内面は養われませんでした。
神様を知ることはまず、自分を知るという体験から始まります。
苦難を通ることで、他の人の弱さや苦しみ、そして優しさや尊さを知ることができます。
今の苦しみがあなたの全てではありません。
苦しみを通して私たちは豊かにされます。
苦しみの目的2.みことばにより生きることを知る(申命8・3)
預言者エリヤの信仰の勝利の秘訣、それはエリヤの従いです。
エリヤは神様が「あなたを養う」と示された地に行きました(1列王17・1~5、1列王17・9~16)。
エリヤが遣わされたのは、飢饉にあったやもめの家など、常に貧しいところでした。
神のみことばが生きて成就することを体験し、証しするためです。
神様は、私たちが最も必要なことをご存じですから、苦しみを通して、その求め方を教えておられるのです。
イエス様がサマリヤの女に教えられたのもそのことでした。
人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るみことばによって生きること、つまり神の国と神の義を第一にして生きること、それが本当のクリスチャンとしての生き方です。
その結果、「かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった」という恵みが注がれるのです(1列王17・9~16)。
エリヤの信仰の成長は、その後の450人のバアルの預言者との戦いにも勝利をもたらしました(1列王18章)。
現実と神様の御心、どちらを取るか迷うことはあります(1列王18・21)。
しかし、みことばをしっかり握る時に、圧倒的な敵の前でも勝利を得ることができます(1列王18・36~39)。
勝利の後、エリヤは再び現実(イゼベルの脅威)に恐れを覚えて逃げ出しました。
みことばに拠って戦っていた彼が、みことばから外れてしまったからです(1列王19・4)。
その彼が再び立ち上がることができたのは、圧倒的な主の臨在ではなく、静寂の中で神様の細き声を聞いたからです(1列王19・11~12)。
弱さの中でもバアルに膝をかがめなかったエリヤの信仰は、新約の時代、そして今を生きる私たちにも用いられています。
神様の細き声を聞き取り、従い、恵みを注がれて生きていきましょう。
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