2017/4/30 聖日礼拝メッセージ
聖書箇所:ヨハネ19:38~42
イエス様が墓に葬られる経緯、特にヨセフとニコデモについては、四福音書の記者が、各自の視点から聖霊様に導かれて記録しています。
アリマタヤのヨセフとニコデモ
アリマタヤのヨセフは裕福で評判が良く、当時の国会議員のような要職にありました。
「ユダヤ人を恐れ、キリストの弟子であることを隠していた」(38節)と、やや厳しい印象を与える描き方がされていますが、当時の時代背景と彼の立場を考えると、罪人であるイエス様への信仰を告白するのは本当に困難なことでした。
ニコデモもダヤ人の指導者であり学者でした。イエス様を天から降られた方と認めつつも、「新しく生まれ変わらなければ神の国に入れない」ことについて、確信が持てない状態でした(ヨハネ3:1~15)。
その彼に、律法学者として旧約聖書から分かるようにと、イエス様は民数記21章から、ご自分を解き明かされました。
モーセが掲げた青銅のように(民数21:4~9)、ご自分もまた、信じる人々が永遠の命を得るように、天に上げられることを語られたのです(ヨハネ3:13~17)。
この後、ニコデモは主のおことばを一つひとつ思い出しながら歩んできたことでしょう。
弟子たちが遠くに逃げてしまった後も、女弟子たち、そしてヨセフとニコデモは主のそばから離れずにいました。
勇気ある行動
ヨセフが思い切って(マルコ15:43)ピラトからイエス様の遺体を引き取った行動は、主への信仰がなければなし得ないことでした。
そして、自分のために用意しておいた墓に納めた行為は、「彼の墓は悪者どもと共に設けられ、彼は富む者とともに葬られた」(イザヤ53:9)の預言の成就です。
神様のみことばはすべて違わず成就することが、ここでも証しされています。
ニコデモは、30キログラムもの没薬を主のご遺体に塗りました。
あの三博士が持ってきた贈り物の1つであり、王あるいは貴族のような身分の高い人しか手に入らない貴重な没薬を、腐敗しないように主の遺体に塗って、王のように丁寧に葬ったのです。
人々から罪人として扱われたイエス様は、地上において、王なる救い主、神の子として受けたのです。
二人の信仰の共通点
ヨセフもニコデモも、十二弟子のように目立った人々ではありません。
でも大事な時に、行動をもって責任を果たす人たちでした。
「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈芯を消すこともない」(マタイ17:20)とあるように、主が彼らを強めて用いてくださったのです。
福音書に弟子たちの失敗がそのまま記されているのは、自分たちにも弱さがあったことの証しとなるよう、本人たちが記者に頼んだからでしょう。
そして、主の埋葬に立ち会ったヨセフとニコデモの善き行いもまた、短いながらも私たちが共感を覚える内容です。
私たちも一人ひとりは弱い信仰の持ち主であったとしても、いざ大切な時に行動を起こし、他の人々を励ますことができるよう、神様に用いていただきたいと願います。
コメント