2017/4/16 聖日礼拝メッセージ
聖書箇所:イザヤ46:8~10
聖書の神様は、遥か昔から、まだ為されていないこと、これから起こることを告げられます(イザヤ46:8~10)。
聖書は、キリストについて証しする書物です(ヨハネ5:39)。
キリストについて、聖書は遥か昔から、どう告げていたのでしょうか。
1.聖書が示すイエス・キリスト・・・安息日
キリストについて、聖書では様々な事柄が記されていますが、主の例祭もまた、その中心におられるのはキリストご自身です。
まずは安息日が制定されていますが(レビ23:2~3)、ユダヤ教では金曜の夕方から土曜の夕方までですが、キリスト教では主が復活された日曜を安息日として定めています。
安息日は、(1)天地を創造された主を思い起こす日であり(創世2:1~3)、また(2)エジプトの430年間におよぶ奴隷生活からの解放を感謝する日です(申命5:12~15)。
日曜礼拝の根本は、天地を創造された神様を思い出すことにあります。
詩篇121篇1~2節にあるダビデの告白のように、天地創造の神様を信仰の助け手として、主との関係を新たにしていただく日なのです。
2.聖書が示すイエス・キリスト・・・主の例祭
数々の主の例祭もまた、キリストを証ししています。
(1)過ぎ越しの祭りと種無しパンの祭り(レビ23:4~6)
過越しの出来事では、鴨居に屠られた子羊の血を塗ったことで、イスラエルの民が死の災いから救われました。
この過越しの祭りのいけにえは金曜に捧げられたのですが、イエス様もまた金曜に十字架に付けられました。
主が息を引き取られた瞬間、神殿の至聖所の幕が真っ二つに裂け、多くの聖徒たちが墓からよみがえりました。
主のわき腹の槍が刺されたところから血と水が分離して流れ出てきたことは、主が完全に死なれたことを示しています。
イスラエルはこの十字架につまずき、主を受け入れませんでしたが、結果、その名を信じた人々、つまり異邦人に救いが及んだのです(ヨハネ1:11~14)。
そして今は、異邦人が、教会に与えられた「イスラエルの救い」という目的を成し遂げるために祈り働く時なのです。
(2)初穂の祭り(レビ23:10)
この箇所にある「収穫の初穂」は、キリストの復活を意味しています。
聖書のまだ初期の時代に、エノクが生きたまま天に引き上げられたという記録がありますが、これは復活とは関係がありません。
新約にあるヤイロの娘もラザロの娘も、一度は肉体の蘇生を遂げていますが、再び肉体の死を迎えています。
ですから復活は、肉体が生き返ることではなく、完全な死から復活して永遠の命が得られることです。
死人はこの復活により、栄光の姿に変えられるのです。
初穂であるキリストに属している者たちとして再臨を間近に臨みつつ、復活の主の栄光を現わしていきましょう(Iコリント15:20~24、Iコリント15:50~58)。
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