2017/4/9 聖日礼拝メッセージ
聖書箇所:ヨハネ12・1~18
今日は、十字架を控え、イエス様がエルサレムに入られた日を記念する、棕櫚(しゅろ)の日曜日です。
1.マリヤの従い(ヨハネ12・1〜8)
皆様もよくご存じの、マリヤがナルドの香油を捧げる記事は、他のすべての福音書でも記されています。
イエス様は、「福音が伝えられるあらゆるところで語られる」とマリヤの行為を賞賛されました。
そのおことばどおり、マリヤが、労働者の給与の1年分にも値する貴重な香油を、主に惜しげなく注いだ行為は、今も世界中の私たちクリスチャンの心に留められています。
この晩餐の席にいたラザロ(マリヤとマルタの兄弟)は、死んで4日目に復活した人です。
彼は、ただ黙ってイエス様のそばに座っていましたが、そこにいるだけで主の奇跡を証ししていました。
マリヤの行いに対し、イスカリオテのユダは「もったいない。貧しい人に施しができたのに」と漏らします。
しかしユダ自身は、預かったお金で私腹を肥やしていた人でしたので、これは本心ではありません。
ユダを含め、周りには多くの人々がいました。
妬みや猜疑心が渦巻く中、マリヤが主に注いだ香油の香りが部屋を満たし(3節)、主への従いが証しされたのです。
この記事に、マリヤ自身の言葉は記されていまん。
でも、イエス様の「マリヤは自分の葬りの日のためにそうしてくれた」というおことばからも伝わってくるように、彼女の行為は、主に対する従順の素晴らしい証しとして、聖書の中で燦然と輝いています。
2.子ロバによる凱旋(ヨハネ12・9〜16)
イエス様は棕櫚の枝を持って出迎える人々の中、立派な馬ではなく、通常でも100センチに満たないとされるロバの背にのって凱旋されました。
メシアは小さなロバに乗ってエルサレムに入ることが、この500年前にゼカリヤによって預言されています(ゼカリヤ9・8〜10)。
ロバは人や荷物を運搬する家畜でした。
主に捧げられる動物の初子の中で、ロバは捧げ物にはならないことが律法では規定されています。
主が預言に従ってロバに乗って来られたことから、主がいかに正しい柔和なお方であったかが伝わってきます。
「雌ロバの子ロバ」とは、純血種を意味します。
また、ロバという単語には「赤くなる」という意味があるそうです。
ドロローサの道を、血潮を流しながら進まれた主のお姿に重なります。
受難週の一番先に起こった、この2つの出来事を通して、私たちは改めて、へりくだって主に従っていくことを決意したいと思います。
そして、エルサレムの人々が喜んで主を迎えたあの出来事が、現代のイスラエルで必ず成就することを信じて祈ってまいりましょう。
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