なぜイスラエルのために祈るのか 説教者:石田 吉男師

2017/4/2 聖日礼拝メッセージ

聖書箇所:詩篇122:6~9

なぜ私たちクリスチャンがイスラエルのために祈るのか、改めて振り返ってみたいと思います。

1.エルサレムの平和を祈ることは、聖書が教える使命である

詩篇122篇は、それ全体がエルサレムについての神様からのメッセージです。
特に6節のみことばから、神様は、すべての人々がエルサレムの救いのために祈ることを願っておられるのです。

神様が全人類救済計画を定められたことについて、英語で「ディスペンセーション」という言葉が使われています。
私たちはイスラエルについて、みことばの文脈通りに理解し受け入れる必要があります。

逆に、イスラエルについて文字通りに受け取らず、霊的に理解しようとする考え方を「置換神学」といいます。
この神学では、「ユダヤ人がイエス様を十字架にかけて殺してしまったため、選びの民としての使命が終わり、教会がイスラエルの立場も使命も祝福を引き継ぎ、代わりにイスラエルはキリスト殺しの呪いを負う者となった」と解釈されています。
このため、イスラエルに対する正しい理解が欠落した状態で、世界中にキリスト教が広まりました。

イスラエルのつまづきは、私たち異邦人へと福音が広まるために用いられました。
そして、私たち異邦人が救われた目的の1つは、イスラエルを励ますためであることは、みことばを字義的に解釈すれば明らかです。

ですから、イスラエルの平和のために祈ることは、聖書のみことばをそのまま受け止め、実践することなのです。

2.イスラエルをみことば通り理解できるようにとりなす

置換神学の影響で、教会の中で反ユダヤ主義が生まれました。

マタイ伝23章13~36節、またヨハネ伝8章44節は、イエス様がパリサイ人を痛烈に批判している箇所です。
ここはパリサイ人たちの偽善を指摘することで、彼らを悔い改めに導こうという主の意図があったのです。
もし、置換神学で解釈されているように、イエス様にユダヤ人を否定する意図があったなら、この後、「父よ、彼らをおゆるしください、彼らは何をしているのかわからないのです」と十字架上でとりなすことはなかったでしょう。

マルチン・ルターは宗教改革を通じて信仰面での改革を促進しましたが、反ユダヤ的な教えを教会に遺しました。
ドイツでヒトラーが権力を握ると、600万人のユダヤ人がホロコーストで虐殺されましたが、彼はルターの考えを、ユダヤ人迫害のよりどころとしたのです。

本来、イスラエルを励まし祝福する使命を負った教会から、反ユダヤ主義が培われ、多くのユダヤ人の命が失われた現実を踏まえるとき、教会はユダヤ人の救いのために祈る責任があります。
教会の反ユダヤ主義に終止符を打ち、イスラエルを救いへと導くために、私たちは今、とりなし手として立てられているのです。

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