主の栄光を現わす Part II  説教者:石田 吉男師

2017/3/19 聖日礼拝メッセージ

聖書箇所:ルカ8:16~18

クリスチャンの生きる目的は、神様の栄光を輝かせることです。

聞き方に注意する

みことばを「聴く」ことの真の意味は、聴従(聴き従う)です。

神様がアダムとイブに自由意思を与えられたのは、彼らを愛するがゆえに、「自分たちで選択して主と共に歩めるように」と望んだからです。
しかし彼らは、神様のことばに聴き従えませんでした。
結果、死という運命を背負い、神様から隠れながら生きる者とになりました。

罪を隠そうとしても、全知の神様はすべてご存じです(17節)。
不従順の罪は、今持っているものどころか、未来までも奪ってしまいます(18節)。
ですから礼拝の中で、主との交わりの中で、みことばに聞き従い、神様の栄光を現していく必要があります。

種蒔きのたとえー従いの前提となるもの

「種蒔きのたとえ」(ルカ8:4~8)は、みことばを注意して聴くための前提です。

神様のみことば(=種)を注意して聞かないと、道端に落ちて人に踏みつけられる種のように、心から取り去られてしまいます(12節)。
岩の上に落ちて実を結ばなくなる種のように、試練が来ると信仰から離れてしまいます(13節)。
いばらの中に落ちて成長が遮られる種のように、世の中のことで一杯になって、みことばに集中できなくなります(14節)。

よい地に蒔かれて実を結ぶとは、正しい心でみことばを聴くことです。
みことばに従わず、世の中ばかりを見ていると、良心が麻痺し、自己中心な思いで歩むようになります。
良心の呵責は神様の働きです。
神様の方を向き続けましょう。

なかなか従えないからといって諦めず、みことばを守り続けましょう。
忍耐が与えられて、必ず実を結びます(15節)。
忍耐には慰めが伴います。
慰めのない忍耐は我慢です。

みことばの素晴らしさ

ペテロたちが経験したような、収穫がゼロの漁ほど虚しく、疲れるものはありません(ルカ5:1~7)。
ペテロは、「深みに漕ぎ出だして、網を降ろしてみなさい」という主のことばを聞き、「でも、おことばどおり」と従いました(ルカ5:5)。
主の導きに従えるかどうか。
これこそ、神様のみことばが私たちに働いて神様の栄光が現されるかどうかの、需要な境目です。
みことばは、天地創造の力であり、神様ご自身であり、闇に打ち勝つ光です。
「でも、おことばどおり」と、みことばに対する信頼を回復しましょう。

ペテロと仲間たちは、魚ではなく、人を捕まえる漁師へと変えられました。
みことばに従う信徒1人ひとりにも、神様はかならず伝道する力を与え、救いを見させてくださいます。

失敗し、自暴自棄になって漁に出たペテロたちに、イエス様はもう一度、慰めの言葉をかけてくださいました(ヨハネ21:5)。
普段の左側ではなく、「右側に網を降ろしなさい」と全く新しい方法を示されたことで、ペテロたちは、素晴らしい収穫を経験しました。

私たちの恐れを最も良く知られるお方は、みことばによって私たちを癒し、励まし、もう一度立たせてくださるのです。

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