2017/3/12 聖日礼拝メッセージ
聖書箇所:出エジプト32:1~14
「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。」(哀歌3:22~23)。
私たちに朝ごとに新しく注がれる、主のあわれみについて見ていきましょう。
1.滅ぼし尽くされなかったイスラエルの民
イスラエルの民は、何度も神様の怒りを買いながら、滅ぼし尽くされることなく命を繋いできました。
その出来事の1つが「鋳物の小牛」事件です(出エジプト32章)。
モーセの長期不在に不安になった民は(32:1)、アロンに作らせた鋳物の小牛を礼拝したのです。
偶像礼拝は、モーセの律法では死刑が科せられる罪で、十戒の一番最初の戒めでもあります。
これに神様は怒り、彼らを滅ぼそうとされましたが、モーセの嘆願により思いとどまられました(32:7~14)。
なぜ、ご自身を「ねたむ神」と称され、ご自身以外のものが礼拝されることを許容されないお方が(出エジプト20:2~6)、このように寛容と忍耐を示されたのでしょうか。
2.約束による選びの愛
ここで神様は、アブラハム、イサク、イスラエルの三代に誓われた「アブラハム契約」を思い起こされたのです(出エジ32:13)。
イスラエルの民が、モーセの時代にシナイ山で神様との間に結んだ契約は「シナイ契約」(出エジ19・5~6)です。
これは大きな特権と引き換えに、人間側の大きな決意と努力が求められるものであり、違反すると大きな罰と呪いが科せられる内容でした(そして実際に、違反によって多くの民が命を落としました)。
このシナイ契約をはるかに超えるもう一つの約束が、アブラハム契約です。
神ご自身さえ無効にできない、アブラハムの子孫に無条件で無限の保証を与える契約です。
この選びの愛により、イスラエルは豊かなあわれみをもって、咎とそむきを赦されてきたのです。
3.あわれみの器として
神様は、怒りによって滅ぼされる「怒りの器」ではなく、豊かな栄光を示されるための「あわれみの器」として、ユダヤ人を、そして異邦人の中から私たちを選んでくださいました(ローマ9:14~24)。
その豊かな栄光とは、時が満ちて現れる救い主イエス・キリストです。
イエス様は今もなお、悔い改めによってあわれみの器となる人々を救ってくださっています。
イスラエルのつまづきは神様の深い知恵と知識の富によるものであり、やがてかならず皆、救われます(ローマ11:28~36)。
私たちは、今後あわれみの器となる方々の手本となるために、異邦人の中から、あわれみによって救われた者です。
謙遜に神様を恐れつつ、自分自身を聖い義の生きた供え物として、神様にお捧げしていきましょう(1テモテ1:12~16)。
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