余りある恵み 説教者:石田 紀子師

2017/2/19 聖日礼拝メッセージ

聖書箇所:ヨハネ6:1~14

今日の「5つのパンと2匹の魚」の箇所は、よく知られているみことばですが、ここに大切なメッセージが込められています。

主は私たちの欠乏に心を配られる

イエス様は奇跡と不思議を行われる方ですが、人間の実際的な欠乏にも心を配ってくださっています。
主の奇跡を目撃して従ってきた大勢の群衆(2節)の飢えを心配し、何か食べさせたいという、主の優しい気持ちが現れています(5節)。

イエス様はこの状況について、ピリポとアンデレに「どうしたらいいだろう」と尋ねられました。
ピリポは「200デナリ分でも足りない」、アンデレは「この少年の5つのパンと2匹の魚ではとても足りない」と答えました。
いずれもタイプの異なる答えですが、「足りない」「役に立たない」という点は同じです。
私たちも、自分の現実だけに目を留めているなら、同じ答えに辿り着くでしょう。

奇跡は私たちの願望ではなく、現実を通して働く

私たちは奇跡というと、何か力ある偉大なものばかり思い描きがちです。
しかしここでイエス様が目を留められたのは、少年が持っていた、たった5つの大麦のパンと2匹の魚という貧しい食べ物です。
そして、神様は今ある現実を通して、業をなされるお方です。
自分の力のなさを嘆く前に、その現状を御前に持っていくならば、主は祝福し、栄光を現わしてくださいます。

感謝を捧げることの大切さ

イエス様は。少年のパンを取り、感謝を捧げました(11節)。
私たちも、主の祈りにあるように、自分で稼いだお金でも、日毎の糧を与えてくださる主に感謝を捧げるよう教えられています。

あるたとえ話(ルカ12:16-21)には、勤勉に働いて富を成した男性が出てきます。
しかし神様は、この男性について、「自分のためには富んでいても、神のためには富まない」と悲しまれています。
私たちにも、世の中のもので安心を得たいという願望はあります。
でも、神様に感謝するという特権を得ています。
自分のすべての現実について、神様に感謝を捧げる者になりましょう。
そうすれば、この少年のように、周りの人にも祝福を流すことができるのです(13節)。

そして、残ったパンくずを集めさせたのは、この祝福を忘れずに記憶し、感謝し続けるという主の意図があるのです。

誰ひとり滅びないように

「1つも無駄に捨てないように」(12節)とは、誰ひとりとして罪に滅びず、永遠の命に預かれるように、という意味です。
まだ主を知らない方々のいのちに心を留めていきたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました