新しいひとりの人 説教者:石田 吉男師

2017/2/12 聖日礼拝メッセージ

聖書箇所:エペソ2:11~16

私たちはつねに「新しくなりたい」と求めていきますが、その願いが叶わずにだんだん古くなっていくという現実があります。
そのような中で、どうしたら年齢を重ねても、性別や国境や環境が違っても、本当の意味で新しくされ続けるのでしょうか。

キリストにあって新しくされる以前の姿を、よく思い出してください(11〜12節)。
過去の歩みを見ると、古いままだった当時の自分が見えてきます。
そして、過去を否定するのではなく、今まで何を中心にして歩んできたのか、聖書を中心に振り返って考えるひと時が、礼拝です。

過去において、自分が新しくなれなかった原因はなんだったか?

それは神様から離れ、自分の思いだけで判断して歩んでいたからです(12節)。
辛く、苦しく、決心も1週間や1年で崩れてしまうような弱いものだった。
神様から離れて、死に支配される望みのない人生だったのです。

それが今は、キリストにあって神様に近いものとされました(13節)。

ここでキーワードになるのが「キリスト・イエスの中」です。
私たちはキリストの中にとどまることで、新しくよみがえる祝福に預かり、キリストとの関係が結ばれるのです。
これは人間の努力によるものではなく、神様の恵みによるものです。

キリストにあって、創造主であられる神様との間に、アダムとイブの堕落以来断ち切られていた関係が回復されます。
もともとアダムとエバが持っていた神様との平和(シャローム)を壊したのは、サタンでした。
そして、新しくされるという願いの真ん中にあるのは、この「平和」を得ることです。

いま世界は、これほど文明が進んでいるにもかかわらず、平和はどんどん無くなっています。
神様との平和がないからです。

異なる二人が本当に和解するには、キリストが仲介者となる必要があります(13〜14節)。
ただ仲直りをさせるだけでなく、二人がどうしても和解しないことがあったとしても、仲介者自身が責任を取るということです。
これは、イエス様が私たちの人生の連帯保証人として、十字架によって成し遂げてくださったことです(15〜16節)。
天地万物を造られた真実なるお方が、責任をもって私たちの間を取り持ってくださるのです。

そして、信仰は自分だけの祝福だけにとどまりません。
自分が変えられることで、神様の御業が周囲の人たちにも証しされていきます。

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